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この映画祭開催の本当の意味とは?

アニメーションを通して新潟から新しい風を吹かせること。
それが本映画祭のただひとつのミッションです。

現実は、描いた夢のサイズより大きくなることはありません。また、チャレンジしないと夢は実現しません。だからこそ、私たちは「新潟アニメマンガバレー構想」「新潟コミュニティビルド構想」という日本初の壮大なビジョンを打ち出し、20年後30年後へ向けて動き始めるのです。本映画祭は、その存在自体が大きな価値を持つだけでなく、新潟を、ひいては日本を目指す方向へ導いてくれます。

世界各国から新潟に多くのアニメーション関係者が訪れるようになりました。次は私たち新潟の番、この映画祭を足がかりとして若い才能が世界へ飛び立つことで、アニメーションを通した国際交流エコシステムが完成すると信じています。世界から新潟へ、そしてまた新潟から世界へ。

夢が現実となる新潟の未来がやってくるとしたら、新潟はそのとき初めて「日本が世界に誇る真の国際都市」としてirreplaceableな不動の地位を築くはずです。

「アニメーション業界が必要とする人材を全て新潟で、しかも制作現場で育成できる」
上記は、本映画祭を創設し、第3回まで実行委員長を務めた故・堀越謙三さんのメッセージです。深く同意しますので、堀越さんに敬意を表してそのまま本ページ末に残します。

成田 兵衛

新潟国際アニメーション映画祭実行委員長
成田 兵衛

3回目までは映画祭を楽しむために新潟にやってきました。4回目からはみなさんに映画祭を楽しんでいただきたく、新潟にやってきます。
私は渋谷のミニシアターで映画を上映しつづけてきて、アニメーションも野心的な作品を積極的に紹介してきました。アニメーションの映画祭もミニシアターの仕事も、映画を上映してみなさんに楽しんでいただくことは一緒です。

そしてそこから新しい表現や作家を見つけだし次の展開に広げていくこと。今までの映画祭の若い伝統を踏まえて少し新しくなる映画祭をみなさんと一緒に育てていきたいです。

北條 誠人

実行副委員長/プログラム・ディレクター
北條 誠人

プログラムディレクターの梨本です。私自身、新潟で映像制作に携わる一人の「作り手」 です。だからこそ、東京のシステムとは違うこの場所で、新しい才能が輝く瞬間を創り出すことに、強い想いを持っています。

私にとって新潟国際アニメーション映画祭は、単に完成した作品を上映する「映画祭」ではありません。世界中から集まった若者たちが「キャンプ」で悩み、アジアの仲間たちと出会い、化学反応を起こす「生きた実験室」だと考えています。商業的な枠の外にある荒削りな魂が、ここで世界に発見されていく。その「現場」に立ち会える興奮こそが、私の原動力です。

この映画祭で、ぜひ皆様と多くの制作者が、対話と創造の輪を広げ、一緒に楽しみ、新たな可能性に出会えたなら、これほど嬉しいことはありません。

梨本 諦嗚

実行副委員長/プログラム・ディレクター
梨本 諦嗚

運営スタッフとして、皆さまを当映画祭にお迎えできることを心より嬉しく思います。
私はこれまで、ここ新潟で教育者としてコンテンツ業界を志すクリエイターの育成に携わってまいりました。現在はアニメスタジオの代表として、創り手を受け入れる立場にあります。その中で強く感じてきたのは、才能は“出会い”と“環境”によって育まれるということです。

この映画祭は、世界中のアニメーション作家と観客が交わり、新しい表現が芽吹く「創造の場」でありたいと願っています。作品を通じて互いを知り、刺激し合うことが、次の世代を動かす原動力になると信じています。

かつての私も、映画祭は少し敷居が高く感じられる場でした。しかし、実際に運営に関わってみると、そこには作品や言葉を通じて人がつながり、気軽に語り合える温かな空気がありました。
ぜひ皆さんも気負わずに参加し、出会いや会話を楽しんでください。この映画祭が、皆さまにとって新しい世界への第一歩となれば幸いです。

内田 昌幸

事務局長/プログラム・ディレクター
内田 昌幸

創設者の堀越謙三さんとのご縁は、「第一回新潟国際アニメーション映画祭のカタログに寄稿してほしい」という依頼メールから始まりました。

それから3年間の濃密な交流のなかで、堀越さんは何度も「映画祭を通じて新潟を国際的アニメーションの拠点にする」と僕に言いました。壮大すぎて現実味がなく感じていた構想でしたが、3回の開催ののち、新潟の官民学のそれぞれの活動が次第に足並みを揃え始めているように思えました。それはまるで、「山が動いた」のを見たかのような衝撃でした。堀越さんが亡くなったのは、その矢先のことです。

国境を超えた視点を常にもつ堀越さんの考え方は、僕自身とても共感できるものでした。堀越さんが見ていたビジョンの実現の方策は、山が動き始めたいま、自分にははっきりと見える気がしました。だから僕は、新潟に関わることにしました。

新たな体制の映画祭が踏み出す第一歩を、楽しみにしていてください。

土居 伸彰

ジェネラル・アドバイザー
土居 伸彰

なぜ新潟でこの映画祭を開催するのか?

新潟ではこの約30年の間に3000人のアニメ、マンガのクリエーターが専門学校を中心に育成されている。人材育成では日本で最も実績があり、さらに開志専門職大学にはアニメ・マンガ学部があり、新潟大学にはアニメーション研究室がある。これはアニメーションの技術者だけではなく、プロデューサー等も含めた、アニメーション業界が必要とする人材を全て新潟で、しかも制作現場で育成できる、ということを意味します。
また新潟は、ロシア、朝鮮半島、中国に向かった日本海最大の国際貿易都市として、300年以上の歴史を持つ。それはイタリアのジェノヴァやヴェネツィアなどの地中海に臨んだ海洋都市、あるいはドイツのハンブルクなど、北海に臨んだハンザ同盟都市と同様に、新潟は幕府統治の時代でも、自ら統治しようとした市民都市としての歴史と、海洋都市という地勢が、クリエーターに必須の自由な想像力、批評精神を培ってきたはずだ。
その土壌こそ新潟が多くの著名なマンガ家やアニメーション・クリエーターを輩出してきた根拠であり、この映画祭を開催する理由だと言える。また新潟は海外貿易ばかりでなく、映画祭のロゴに採用した北前船で、北海道から京都へと最高の食材を運び、新潟の発酵文化とともに、日本食の味の基本を決める役割も果たしたといえよう。
新潟は日本一の酒どころ。さらに九州一周に匹敵する海岸線から採れる、案外知られていない多様な海産物を食べながら、熱くアニメーションを語り合える場所を提供して、新潟で国際映画祭を開催するもう一つの、重要な根拠にしたい。

新潟国際アニメーション映画祭創設者/初代実行委員長
堀越謙三(1945 – 2025)

映画プロデューサー、ユーロスペース元代表取締役、開志専門職大学名誉教授、東京藝術大学名誉教授。製作した映画は、レオス・カラックス「アネット」、アッバス・キアロスタミ「ライク・サムワン・イン・ラブ」、フランソワ・オゾン「まぼろし」、ウェイン・ワン「スモーク」など、著書に「インディペンデントの栄光」(筑摩書房)